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「痙攣している頭に30回もハンマーを」...娘を殺された母が死刑廃止派弁護士に、あえてむごい娘の死を語った理由【闇サイト殺人事件】

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これでも、加害者の人権を優先する思考を改めないキチガイこそ、殺処分すべきなのでは?




 犯罪被害や死刑制度などについて一緒に考えていこうと立ち上がった「TOKYO1351」と、ニコニコ動画が共同で開催した死刑を考える討論会が9月9日に放送されました。

 今回はライターのジョー横溝さんの司会で、「闇サイト殺人事件」の被害者ご遺族である磯谷富美子さんを特別にお招きし、死刑制度存置派である弁護士の山田廣さん、酒井宏幸さん、髙橋正人さん、上谷さくらさん、死刑制度廃止派である弁護士の小川原優之さん、岩井信さん、ジャーナリストの青木理さん、映画監督の森達也さん、ミュージシャンの山口洋さんが「死刑制度」について、じっくり討論していきます。

 誰もが死刑判決の判断に直面せざるを得ない状況にある中で、私たちはどのように考えていけばいいのでしょうか。

犯罪被害者が経験した理不尽な扱い

ジョー横溝:
 きょうは被害者のご遺族である磯谷富美子さんにお越しいただいておりますので、お話を伺いながら議論をしていきたいと思います。私の横の席に座っております髙橋正人先生のグループが犯罪被害者支援弁護士フォーラムを作られたということですが、改めてどういうものなのか、まずはお話をいただけたらと思います。

髙橋:
 例えば自分の息子が殺された、娘が強姦されて殺された。そういうときにどこに駆けつけますか。当然警察ですね。次は検察庁です。そして刑事裁判が始まります。

 みなさんは当然、被害者のために捜査や裁判が行われていると誤解されていると思います。しかし平成20年12月31日まではそういうことは一切ありませんでした。凶悪犯罪を受けた人は適正な刑罰を課してほしいと思うのは当然です。

 もしそれが自分自身で私的に処罰を科してしまえば、社会の秩序が乱れる。だから国家が被害者に代わって無念を晴らしてやろうと、そうやって動いています。だからこそ被害者は捜査や裁判に協力するはずなんです。ところが捜査への協力は被害者にとって大変な負担です。

 葬儀が終わらないうちから何度も事情聴取を受けたり、家宅捜索の立ち会いでクタクタになります。つい最近まではご遺体の搬送費も遺族が負担しなければいけませんでした。

髙橋:
 私の知っている被害者は裁判の期日さえ知らせてもらえませんでした。自分のお父さんが殺されて突然所轄署から「あさって裁判みたいですよ」と言われ、慌てて裁判所へ行ってみたら、その日は判決の言い渡し日だったのです。

 それだけじゃありません。自分の娘が暴行されて殺されたのに傍聴すらできませんでした。被害者遺族であっても、整理券をもらって抽選に当たらないと傍聴席に入れなかったのです。

 ひどいときは自分の娘を強姦した加害者の家族に取り囲まれて被害者遺族が座らせられる。こんな非常識なことを当たり前のようにやっていました。

 被害者は「自分のための裁判ではないのだ」「社会の秩序のための道具にしか過ぎなかったのだ」ということに、初めて気づくのです。

被害者が権利を確立するまで

髙橋:
 そこで全国犯罪被害者の会あすの会)が平成12年1月23日に設立されました。代表は岡村勲弁護士です。岡村先生自身、実は奥様を殺された遺族でありました。

髙橋:
 多くの被害者が次々と壇上に上がって実情を訴えました。二つの理念があります。一つは「被害者のためにも刑事司法はある」ということ。もう一つは経済的な保証を含めて、被害回復制度の充実です。

 この二つを掲げて運動を始めたのですが、最初は誰にも相手にされませんでした。そこで署名活動を始めることにしました。街頭署名だけで55万7215名の署名をいただきました。そして平成16年12月1日に犯罪被害者等基本法ができました。

髙橋:
 刑事司法は社会の秩序をはかるとともに、被害者のためにもあると宣言されました。平成19年6月1日には被害者参加制度及び損害賠償命令制度が成立しました。

 刑事記録がすべて見られる、裁判期日について都合をきいてくれる、被告人に対して直接質問ができるなど、ようやくいろいろなことができるようになりました。

闇サイト殺人事件から10年。被害者の母親が語る

ジョー横溝:
 髙橋先生からお話いただいた被害者支援の歴史や理念などを頭においていただきまして、本日は闇サイト殺人事件の被害者ご遺族である磯谷さんにお越しいただいておりますので、事件から10年がたつ思いも含めまして、お話いただけたらと思います。

磯谷:
 磯谷富美子と申します。私の娘、利恵は10年前の強盗殺人事件の被害者となり、見知らぬ三人の男たちによって31歳で人生を終えました。彼は闇の職業安定所というサイトを通じて、初めて顔を合わせてからわずか3日後の犯行でした。

磯谷:
 彼らの目に留まった娘は自宅の200メートル手前で拉致され、カードの暗号番号を聞き出し、最後は殺すと決めて女性を物色。遺体は山の中に捨てられました。
 
 その数時間後、サイトで仲間を募った張本人である川岸の自首により事件が発覚し、その日のうちに全員が逮捕されました。

磯谷:
 一審の判決は被告三名の死刑求刑に対し、神田、堀に死刑、川岸に無期懲役の判決でした。控訴しましたが、後に神田が控訴を取り下げ死刑が確定。そして一昨年6月25日、娘の月命日に刑が執行されました。

 二審判決では死刑選択がやむを得ないと言えるほど、悪質な要素があったとは言えないと堀、川岸ともに無期懲役。検察は川岸の上告を断念し、川岸の無期懲役が確定。平成24年7月11日付で最高裁は二審判決を支持し、上告を棄却。堀の無期懲役が確定しました。

一人は死刑、二人は無期懲役。残った悔しさと司法に対する不信感

磯谷:
 ある日突然の悲報を受け入れることはできませんでした。警察で事件後初めて面会した娘は、ブルーシートに包まれていて首から上だけが出ている状態でした。

 顔には何箇所も青あざが広がっており、パンパンに膨れ上がっており、髪の毛はのり付けされたようにバリバリになっており、大量の出血を想像させました。そんな娘の姿を見て、強く抱きしめると痛いのではないかと思い、そっと撫でることしかできませんでした。 

 今でもはっきり覚えているのは娘の頰に触れたときの異常な冷たさです。娘の手は内出血で無残に変色し、腫れ上がっているのを見ると、娘の恐怖が伝わってくるようで何とも言えない悲しみに襲われたのを覚えています。

磯谷:
 娘はどれほど怖かったでしょうか。どれほど苦しかったでしょうか。どれほど生きたかったことでしょうか。娘は本当にむごい殺され方をしました。後ろから首を絞められた後、ガムテープで口と鼻をふせぎ、その上から押さえて息ができないようにしました。その後堀はハンマーを取り出し三回頭部を殴打しました。

 その後、神田と川岸がロープを引っ張り合いました。しかしうまく絞まらなかったので、堀が一人で締めました。その間、娘は「殺さないって言ったじゃない」「お願い、助けて」「死にたくない」「お願い、話を聞いて」と途切れ途切れに絞り出すような最後の言葉を口にします。

 その言葉を聞いても、誰も躊躇することなく「まだ生きてやがる」と行動はますますエスカレートしていきました。顔面の縦横にガムテープを23周ぐるぐる巻きにし、頭からビニール袋をかぶせ、その首元から頭にかけてガムテープで8周まわして留め、神田はロープで首を絞めました。

 それでもおさまらない神田は、すでに痙攣し始めている娘の頭に、30回から40回もハンマーを振り下ろしました。抵抗することもできずに虫けらのように殺されていきました。

磯谷:
 あえて私がむごいことを発言したのは、「死刑反対」と軽々しく言ってほしくないからです。私が三人の死刑を望むことは当たり前のことです。みなさんも最愛の人が何の関係も落ち度もないのに、殺されたとしたら同じ思いになるのではないでしょうか。

 しかし私の願いも虚しく、一人は死刑、二人は無期懲役でした。娘の無念を晴らせなかった悔しさと司法に対する不信感だけが残りました。

 娘を亡くすという直接的な被害の他に、様々な被害をこうむりました。この事件により仕事をやめ、30年住んだ住居を去り、裁判や署名活動のために多額の費用を使いました。

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