まぁ、年齢考えたら致し方ない事だけどね・・・
モータースポーツ史上で唯1人、2輪のロードレース世界選手権と4輪のF1世界選手権の両方でチャンピオンとなったサーティースは、日本ではホンダの第一期F1活動にドライバーとして参加し、勝利を挙げたことでも知られている。
1934年に英国サリー州で生まれたサーティースは、10代でロードレース世界選手権に参戦を開始。英国のノートンからイタリアのMVアグスタに移籍すると、1958年、59年、60年に350ccクラスで、56年、58年、59年、60年に500ccクラスでタイトルを獲得した。2輪で栄光を手にした後は、1960年から4輪のF1に転向。1963年にはフェラーリで初優勝を挙げ、翌年に世界チャンピオンとなる。さらにフェラーリを離れた後には、1966年から始まった北米のカナディアン・アメリカン・チャレンジカップ(通称カンナム)で初代チャンピオンに輝いている。
エース・ドライバーとしてホンダ入りしたのは1967年。当時、車体の重量増に悩んでいたホンダでは、英国のレーシングカー・コンストラクター、ローラ・カーズの大株主であったサーティースが仲介役となり、ローラが開発したシャシーにホンダのエンジンを搭載する決断を下す。この「RA300」と呼ばれる日英合作マシンは、サーティースのドライブによって1967年のF1第9戦イタリアGPでデビュー・ウィンを達成。ホンダ F1チームに通算2勝目をもたらした。ジャック・ブラバムを僅か0.2秒差で抑えての勝利は、最終ラップのホームストレートでホンダ・エンジンがライバルより高回転までパワーを絞り出すことができたおかげと言われている。