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水戸出身の零戦パイロット・杉浦茂峰兵曹長 ご神体、あす台湾から里帰り

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どっかの国の
「日本軍による被害ガー!」
ってのは手広く報道するのに、こう言う、どっかの国の機嫌を損なう事は報道しませんね~ 




◆戦時中、市街地避け墜落「守り神」

 台湾南部の台南市に、水戸市出身で旧日本海軍零戦パイロットだった杉浦茂峰(しげみね)兵曹長を祭る「飛虎(ひこ)将軍廟(びょう)」がある。空中戦で被弾しながら、市街地を避けて墜落したことから地元では「守り神」と慕われている。このご神体が二十一日、水戸市に初めて里帰りし、三日間にわたり関係者が交流する。縁をつないだ市内の印鑑製造業、藤田和久さん(64)は「水戸と台湾の交流を一層、深めたい」と話している。 (山下葉月)

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 飛虎は、戦闘機を意味する中国語。杉浦氏の本籍は那珂市だが、生まれも育ちも水戸市。一九四四年十月、台南市上空で米空軍と交戦し、畑の中に落ちて二十歳の若さで戦死した。将軍廟管理委員会発行のパンフレットによると、「自らの命を犠牲にして集落を守った恩人」として、台南市の有志が七一年に廟を建てた。

 藤田さんが杉浦氏を知ったのは四年前。国会議員秘書をしていた藤田さんは、戦争で家族を亡くした遺族らから話を聞く機会が多く、インターネットで調べ物をしていて、偶然、その存在を知った。「こんな立派な人が水戸の出身だなんて」。その日のうちに航空機を手配し、台南市へ飛んだ。

 将軍廟では毎日、線香代わりにたばこを供え、「君が代」の祝詞を奏上していた。反日感情どころか、日本の統治時代を知らない世代が、流ちょうな日本語で君が代を歌い、将軍廟を大切に守っていることに藤田さんは衝撃を受けた。「水戸の人にぜひ来てほしい」という地元の求めに、藤田さんは水戸と台湾の交流を実現させようと思い立った。

 それから毎月、台南市に通い、杉浦氏の軌跡を調べたり、水戸市に台湾との交流を持ち掛けたりした。水戸市も二〇一三年八月、台南市と交流都市関係にある長崎県平戸市の市長の手紙で、杉浦氏の存在を知った。

 台湾は、東日本大震災の被災地に二百億円以上を寄付しており、被災した水戸市も台湾との交流を望んでいた。今年二月、藤田さんの思いが通じ、高橋靖市長が将軍廟を訪問。歓迎した地元の人たちから「将軍を水戸に里帰りさせたい」という声が上がり、今回の来日が実現した。市は今回、生家の跡地に杉浦氏の紹介パネルを設置した。

 ご神体は、アクリルケースに入れ、航空機の客室に大切に乗せて、管理委員会のメンバー二十六人とともに来日する。二十二日は、ご神体のみこしを担ぎ、生家跡など市街地を練り歩く。二十三日には、杉浦氏の出身校である市立五軒、三の丸の両小学校を訪れ、児童たちと交流する。

 藤田さんは「いつか水戸と台湾の小学校が姉妹校になって、友好の橋渡しをしてほしい」と願う。この里帰りを、さらなる親善のステップにしたい考えだ。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/list/201609/CK2016092002000148.html