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竹中平蔵先生から16歳へ贈る「お金と人生」の話

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学者なら、感情論ではなく論理的思考に基づいて若者の労働意欲の欠点を指摘してくれませんかね?


川を上り、海を渡れ

 川を上ったら「海を渡れ」。

 海外に出て、同世代の若者が何をやっているかを見てきたらいいんです。あなたはやったことがありますか。もしかしたら、あなた以上に懸命に生きているかもしれませんよ。

 これは何年か前の話になります。わたしは仕事で中国の深センに出かけたことがあります。ここには、日本の大手電機メーカーの工場があるんです。工場の稼働は24時間。休みはありません。山間部から出てきた15歳くらいの女の子たちが、1日3交代で働いている。ある女の子は「ここで働いて、お金を貯めている」と言う。

 なんのために?

まずは貯めたお金で、弟を大学に行かせる。残ったお金はお母さんに送るんだと。自分はここで勉強をし、10年経ったら故郷で起業をすると言うんです。

 こんな若者たちが中国には山のようにいる。日本の若者にとっては生涯の友人であり、ライバルなんですよね。こういう現実を自分の人生として生きている若者たちがいる。これだけでも、What’s a problem? 「自分はどう生きるべきか?」を考えざるを得ないんじゃないでしょうか。

 もうね、「受験勉強」なんてやらなくていいんです。たいしたことないんでですから。東京大学に入ったって、たいしたことはないんです。受験は、基礎の基礎を培うには有効かもしれませんが、勝つのは簡単なんです。人よりも早く始めればいいだけの話なんです。だから、受験勉強を前倒しではじめられる進学校が強くなる。

日本は「入試歴社会」

 日本の最高学府に、なんてこと言うんだと思った人もいるかもしれませんね。でも、こういう現実があります。

 わたしがハーバード大学で客員准教授をやっていたとき、総長のヘンリー・ロソフスキーとよく話しをました。彼は知日家で、日本のことをよく知っているんです。こんなことを言われました。

 「ヘイゾウ、日本人は東京大学を『偉い』と思っているんだろう。でも、ハーバード大学から見れば、東京大学は、トーキョーにある大学以上の意味はないんだよ」

 何を意味しているかというと、もはやグローバル基準で「東大卒」は「学歴」にならないということです。グローバル基準はもっと上をいっているんです。

 人間、学歴じゃない。こういう言い方がありますね。しかし、国境を超えて働く――グローバル社会とは、強烈な「学歴社会」。このことを知っておいてほしいんです。

 なぜ学歴なのかは、極めて合理的な判断です。グローバル社会では、あらゆる国から人が集まってきます。文化や宗教、あらゆる点で多様ですから、どこかで物差しを導入しないとなりません。それこそが学歴で、世界中から集まってくるからその基準もより厳しくなります。このことに関しては後ほどお話しするとして、日本は単なる「入試歴社会」ですよ。

 どのぐらい、難しい入試に受かったか。そこだけを見ている。日本は同質性の高い社会だから、有名な大学を出ていて、いい人そうであれば、企業は採用しますし、これまで回ってきた面はあります。

 ただこれは、東大に入った、慶應に入ったから、「まあよさそうだ」と思っているだけの話です。企業は大学を信用していません。自分のところで、「イチから鍛えてやる」と考えていますから。出身大学の偏差値は教えたことを吸収できるか判断基準として便利なだけ。

 もう一つ、新人として入ったからには、言うことを素直に聞くかどうかが重視されます。だから、体育会系が就職で有利でした。東大卒の体育会系の人気が高いのは、この2つを併せ持っているからでした。

 しかし、これらはグローバル基準から見れば時代遅れでしょうし、本当の学歴とはこんなものではありませんよね。何を学んだかはまるで尊重されていないんですから。

 グローバル基準でプロフェッショナルになろうと思ったら、最低でも「マスター」(修士)を持っていなければダメで、本来なら「Ph.D」(博士号)ですよね。もちろん、これらはグローバル基準で上位にある大学でのものに限られます。ハーバード大などがその頂点にあることは言うまでもありません。

 エリートと言われる人でも、日本で博士号を持っている人はとても少ないですね。そこから考えると、日本は「低学歴社会」です。そもそも大学の進学率は50%台でしょう。いま、世界の大学進学率は、もっともっと高い。低学歴社会だと思わないといけない現状です。こういうことは、海を渡ると見えてきます。

人生には必要なのは、地図ではなく羅針盤

 MIT(マサチューセッツ工科大学)の研究所に「メディアラボ」があります。日本人の伊藤穣一さんが所長を務めていますが、ここで使われるのは、

Compass over maps.

 という言葉です。「人生には必要なのは、地図ではなく羅針盤である」と。

 これまでの日本社会は人生の地図を書いてきました。偏差値の高い大学に入って、一流企業に入る。そこで管理職になる――これこそが、人生における「最良の」地図だったんですよね。

 ただ、これからはもう通用しません。すでに東大は、大学ランキングで北京大学に抜かれましたし、一流企業でも不正会計問題が起きる。他の優良企業でも、あっさりどこかに買収されるかもしれない。もはや、「最良の地図」なんて存在しません。

 だからこそ、「羅針盤」が大切になるんです。コンパスです。変化の早い世界では、地図はあっという間に変わるものの、自分の羅針盤さえ正確なら道に迷うことはない。それを身につけるために必要なもののひとつが学歴です。

 当然、これを得るのは簡単なことではありません。でも、人生ってもとから簡単なものではありませんよね。チャラく考えない方がいい。

 そう、大変なんです。生きるって。

 ニューヨークに行くと、フィリピンやベトナムからやって来た方がタクシーの運転手として働いています。わたしが後部座席に座ると、しばしば彼らはこう言うんです。

Life is not easy.

 人生は楽じゃない。

 彼らは、生まれた国で満足な収入を得られずにニューヨークにやって来た。言葉もできなかったから、これまでとてつもないハンディキャップのなかで働いてきた。だから、

 「自分の子どもには、同じ想いはさせたくない。高い教育を受けさせたいんだ」

 と言う。ところが、聞いてみると、息子がイェール大学に行っている、コーネル大学に行っていると、誇らしげに話すわけです。

 Life is not easy.

 そう呟きながら、生きているんですよ。

若者には貧しくなる自由がある

 いま現在、日本人は快適な環境で暮らせていますが、これはいつまで長続きするでしょうか。

 日本の1人あたりGDPは、世界トップのノルウェーやスイスなど比べると、半分以下しかありません。アメリカの1人あたりGDPは、日本より3割高い。成長率も上ですから、この差は開き続けている。

 不思議でならないのは、国内の格差問題に対しては、みんな極端にナーバスになるのに、世界のなかで日本が格差をつけられていることに対しては、関心が払われないということです。単にこれは「頑張るのがきらい」なだけなのかもしれません。

 もちろん、

 「わたしは頑張りたくない。楽に生きたい。いまがぬるま湯なら、つかれなくなるまで、つかっていたい」

 と考える人もいるでしょう。それならそれでいい。その権利は誰にもあるわけですから。ただ一つ言っておきたいのは、「何もやらずに楽に生きる」ための基盤は、みんなが想像しているよりも早く崩れるかもしれない、ということです。

 以前、鳥越俊太郎さんたちと、あるテレビ番組に出ました。

 いま話したような文脈で、「日本の若者は海外に出るべきだ。世界の現状を見るべきだ」と話していたら、スタジオに抗議の電話がいっぱいかかってきました。視聴者は「大きなお世話だ。ほっといてくれ」と言うんですよ。

 ただ、わたしはこう言いました。

 「確かにそうだ。若者は自由にやればいい。貧しくなる自由がある。若者には楽をして貧しくなる自由があるから、選べるなら選べばいい。その代わり、頑張って豊かになった人に対して文句を絶対に言うな。君たちが貧しくなる理由を選ぶんだったら、それはそれでいい」

 でも、彼らはきっと文句を言いますよ。なぜなら強い信念をもってそうなっているわけじゃないんだから。楽をして貧しくなるのも一つの道ですし、世界との競争とは別の場所で生きていくのも立派な道でしょう。わたしはそれも否定しません。ただ、やるんなら信念を持ってやって欲しいんです。そもそも自由な世界、個人を尊重する世界とは、こういうことなんですから。

http://diamond.jp/articles/-/85299?page=2