慰安婦報道巡り:元朝日記者攻撃、1年後の今も
って、変態毎日新聞かよwww
まぁ、旧知の仲ですからねぇ~www
20年以上前に書いた慰安婦問題を巡る記事を理由に、元朝日新聞記者の植村隆さん(57)がインターネット上や勤務先への電話などで人格攻撃を受けた。昨年8月に同紙が掲載した慰安婦報道に関する特集紙面をきっかけに攻撃は激しくなり、家族まで標的にされ、勤務する大学へも抗議のメールや電話が殺到した。それから1年。嫌がらせは減ってきているが、止まったわけではない。【青島顕】
「ウエムラタカシか」。植村さんは今年6月、新幹線に乗るためJR新神戸駅の窓口に並んでいたところ、見知らぬ男から声を掛けられた。「はい」とけげんそうに答えると、男は言った。「売国奴」。植村さんが「売国奴じゃないよ」と言い返すと、男は立ち去った。周囲の人たちは、何が起きたのか分からず、驚いた様子だったという。
攻撃が始まったのは昨年初め、植村さんが朝日新聞函館支局長だった時だ。神戸市の私立大教授への就任が決まっていたが、週刊誌が過去の慰安婦問題記事を挙げて転職を批判する記事を載せたところ、大学に非難が殺到した。大学側はトラブルを恐れ、就職話は立ち消えになった。
朝日新聞社退職後の昨年8月、同紙が過去の慰安婦報道を検証する特集を掲載したことで、攻撃は強まった。特集は植村さんの記事について「意図的な事実のねじ曲げはなかった」と判断したものの、ネットには植村さん批判の書き込みが増え、非常勤講師を務める北星学園大(札幌市)に抗議の電話や文書、メールが押し寄せた。内容には「国賊」「売国奴」「捏造(ねつぞう)記者」といった一方的に人格を否定する表現が目に付いた。昨年11月時点で同大学への抗議メールは1200件を超え、抗議電話も400件以上となった。
植村さんによると、高校生の長女について「売国奴のガキ」などとネット上に書き込む攻撃もあった。同大学に今年2月に届いた脅迫状は、長女を名指しして「必ず殺す。何年かかっても殺す。何処(どこ)へ逃げても殺す。絶対にコロス」と記していた。これを受け警察は警備を強化し、長女の登下校時にパトカーが巡回する事態になった。
自分が標的になった理由について植村さんは、(1)韓国の元慰安婦の証言を初めて記事にして、慰安婦報道の流れをつくったと目されている点(2)妻が韓国出身で、妻の母が韓国の戦争遺族会の代表だったこと(3)朝日新聞への感情的な反発−−の三つがあると推測する。
攻撃の多くは匿名によるものだ。植村さんは「量は減ってきたが、今も続いている。娘は私の記事が出た時、生まれてさえいなかったのに、なぜこんな目に遭わなければならないのか」と語った。バッシングを受けて、植村さんの頭はすっかり白くなった。「私は捏造記者ではない。絶望したが、支援してくれる人も出てきて青空が見えてきた」
◇24年前の記事に批判
植村さんは朝日新聞大阪本社社会部の記者だった1991年8月、大阪本社版で、韓国に住む元慰安婦の証言を「思い出すと今も涙 元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」の見出しで報じた。記事のリード部分で「『女子挺身(ていしん)隊』の名で戦場に連行され」と表現した。
「挺身隊」は軍需工場などに動員された人々のことをいい「慰安婦」とは異なる。しかし、混同は当時、毎日、読売、産経の各新聞にもあった。植村さんは挺身隊について「その頃の韓国では慰安婦を指す言葉として使われていた」と話す。
この記事に関し、後に週刊誌、雑誌などは「捏造記事だ」と批判するようになった。朝日新聞は昨年8月の慰安婦報道特集で過去の記事の一部を取り消したが、植村さんの記事については「意図的な事実のねじ曲げはなかった」と結論づけた。
同紙の第三者委員会は昨年12月に公表した報告書で「事実をねじ曲げた記事が作成されたとはいえない」とする半面、「強制的に連行されたという印象を与え、安易かつ不用意な記載があった」と指摘した。同紙はこれを受け「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」の部分を誤りとして訂正し、おわびした。
一方、植村さんは今年1月以降、週刊誌などで「捏造」と報じられ名誉を傷つけられたとして、文芸春秋や新潮社などに賠償を求めて順次提訴しており、東京地裁で係争中。
http://mainichi.jp/shimen/news/20150810ddm004040029000c.html